滋賀県甲賀市 『多喜城」

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甲賀市史掲載 『多喜城』縄張図
 
今回の探訪日記は
 
    滋賀県甲賀市 『多喜城』
 
        縄張:平山城    築城:鎌倉中期    遺構:曲輪・土塁・堀
 
多喜城は、比高約20mの丘陵頂部にある
従来『多喜北城』と呼ばれていたが、現在は『多喜城』と変更されている
城跡は、墓地や畑となっていたが、他は山林となっています
多喜城の城主は、多喜氏と伝えられ
多喜氏の一族からは後に『水口岡山城』の城主となる
中村一氏(なかむらかずうじ)』*滝 孫平も出ている
 
 
城郭は、曲輪Ⅰを主郭とし北側を除いた外側三方に土塁がある
登城ルートは、金毘羅宮や元龍寺近くに
文化財を大切に』という石柱があります
そこから登ると、、現在墓地となっている曲輪Ⅱがあります
そしてすぐも、堀切が現れます
 
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金毘羅宮近くにある石柱              この左手に墓地があります
 
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堀切
 
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堀切右手にある土塁(土塁上から撮)
 
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主郭の土塁(土塁上から撮影)
 
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主郭の土塁(土塁南側部分のみ少し高くなっている)
 
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主郭の土塁(南側から東方向へ撮影)
 
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甲賀市史掲載図のC部分(虎口が存在したらしい)
 
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甲賀市史掲載図のb部分(虎口)
現在見ることができる道が当時のままとどめいてるかは不明
 
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多喜城遠景
 
 探訪日     2013・5
 
 おすすめ    ★★☆☆☆
 
 満足度