今回の城探訪日記は
形式:山城 築城:元弘元年 遺構:曲輪・堀切・木戸跡
本拠地の南河内に戻り赤坂城(下赤坂城)を築く
そして、一年後正成は赤坂城の奪還に成功し再び討幕の狼煙をあげた
また、正成はもう一つ城の築いた。それが『上赤坂城』
下赤坂城の上手に築かれたので上赤坂城と呼ばれている
正成は、この上赤坂城を本城として下赤坂城を出城
千早城を詰めの城とした
幕府軍の軍勢は8万。それに対し上赤坂城の城将:平野将監以下300
多い寄せてを迎え楠軍はとく戦ったが、幕府軍に水の手を断ち切れると
城中の兵が渇きに苦しむようになり、城将:平野将監は幕府軍に
偽りの降伏をした。
幕府軍はこ降伏を了承したが、京に降伏人たちを送ったあとに六条河原で首をはねた。
残された上赤坂城には副将として正成の弟:正季(まさすえ)が抵抗していたが、正季の金剛山中に逃げ上赤坂城は落城
下赤坂城のある赤坂中学校から郷土資料館を目指しましょう
徒歩だと、下赤坂城から上赤坂城登山口まで約30分
本郭までだと約50分です
郷土資料館・道の駅方面へ ここからひたすら歩きます
途中、案内板もありません 前回、ここで雷雨に合い退散
やっと、案内板が出てきます。ここから登山口を目指す
上赤坂城の登山口到着
1の木戸
堀切道かな?こんな細い道大勢で攻めるのは無理でしょう
2の木戸
こんな堀切道が随所あります
3の木戸
算盤橋
茶碗原
上赤坂城本郭にある石碑
探訪日 2017・5