父親の仕事のお手伝いで岡山へ行ったついでに立ち寄りました
とにかく、遠い・・・
しかも、山の上・・・
総社インターから少し迷いました。
夕方には、岡山市内へ戻らないといけないため短時間だけの観光でした
鬼ノ城へは、鬼城山ジビターセンターから園路を歩いて行きます
岩がゴロゴロ・・・・
学習広場から撮った『鬼ノ城』
城壁は、土塁が主体で城門4ヵ所、水門6ヵ所、角楼1ヵ所、そして、高石垣などで構成されてます
角楼
城壁から凸字形に張り出し、正面と側面から攻撃できる
西門(復元)
西門は、3階建てで、1階は門扉のある石敷き通路、2階は城壁の連絡路
3階は見張り及び戦闘の場に想定してます
1階の門扉と石敷き通路
土塁と高石垣
高さ5~7m、壁面は80度近い勾配のため簡単に敵兵を寄せつけません
高石垣は、奥に少しだけ見えてます
もう少し、近くまで行けばよかったな
敷石
この敷石は、雨水などの侵食から城壁を保護するために城壁の内側に敷かれてます
総社平野
登城日 2010・11
おすすめ度 ★★★
満足度 まだまだ、見てない場所いっぱい
「さあ、これから」って時に父から
「待ち合わせ時間が変更になった」って電話があって
呼び戻せれた(涙)
疲労度 父親運転で快適でした
JR総社駅からタクシーで約20分
車 国道180号線国分寺口から北へ約6キロ
お問い合わせ
開館時間 8時30分~17時15分
休館日 月曜日 (12月29日~1月3日)
施設利用 無料
岡山市内のホテルで一泊・・・
昨夜、飲食店での父のお仕事関係の接待も無事終了
で、その仕事関係の人の中に『歴史好き』がいました
で、その方に教えて頂いた城に行くことになった
名前は『周匝茶臼山城』(すさいちゃうすやまじょう)
城主は『備前軍記』などから笹部(佐々部)勘斎(勘次郎)と考えられる
1533年に居城し1579年に宇喜多直家によって滅ぼされるまで46年間存在していたといわれます
昭和60年に発掘調査を行い、本丸は礎石をもつ瓦葺き建物、掘立柱建物、大型竪穴遺構をもつ中世的な城郭施設であったことが判明
昭和61年に城型展望台と大型竪穴遺構の復元を行い城山公園として整備しました
~パンフレットより抜粋~
大型竪穴遺構
でも、私が注目したのは駐車場すぐにある
この空堀は下りることができます
で、下りてみました・・・
結構な勾配でした
空堀を下りてるところを父親が見てたらしく「前世は男性だったな。
あのチャレンジャーは社員にも分けてやりたい」
と、言われました。
それって、褒めてるの?貶してるの??
井戸跡
周匝茶臼山城からの景色
すっかり秋です(季節外れですみません)
この景色も、笹部氏も見てたのでしょうか?
そんなことを城へ行くといつも考えます
時代を超えて同じ景色を見てたのかと思うとロマンを感じます
~おわり~