香川県高松市 『高松城』

今回の探訪日記は
 
 
縄張:平城(海城)  築城:天正16(1588) 
                  遺構:月見櫓・櫓・堀・石垣
 
高松城は、羽柴(豊臣)秀吉の部将:生駒親正(ちかまさ)が讃岐一国を
与えられ、天正16年に瀬戸内海に面した地に築城を開始
海水を取り入れた幅の広い水掘りが本丸や二の丸などを巡る本格的な水城
天守は、明治17年に取り壊された
なお、平成17年からは天守台石垣修理を実施し現在は全ての行程を終了し
一般公開中です
 
この、高松城は今回2度目探訪です
前回の探訪は、天守台石垣修理中でした
なので、新しく積み直された天守台を見に行ってきました!
 
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現存する月見櫓
 
船の到着を監視する櫓で『着見櫓』ともいう
中央に見えるのが『水手御門』
水手御門というのは、水城独特の城門でいわゆる海の大手門
全国で唯一の現存
月見櫓と水手御門との間にあるのが『渡櫓』であります
 
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艮(うしとら)櫓 *旧太鼓櫓跡
 
艮櫓は、もともと東の丸北東隅にあった櫓
北東の方角を丑寅(うしとら)ということからこの名があります
完成は、月見櫓と同時期の延宝5年頃
昭和40年に2年の歳月をかけて東の丸から旧太鼓櫓跡に移築復元された
 
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旭門と旭橋                枡形虎口と埋門
 
かつて、城の南側に大手門があったが、これを廃して三の丸(現在:県立ミュージアムがある場)に藩主の住居を建てたため東に旭橋を架けそれを渡って旭門から出入りするようになった
枡形虎口は、攻め込んだ敵を包囲したりするため
また、埋門北側(右橋上)がある
 
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鞘橋
 
本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋
当初は、欄干橋であったが江戸中期末頃にはこのような屋根付き橋となった
 
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以前、探訪したときは工事中でしたが、きれいに積み替えられてました
生駒氏時代の天守は3層だったとされています
松平氏時代の寛文10年(1670)に改築された天守は3層5階
                       (3層+4階+地下1階)
造りで四国最大の規模誇っていたが、明治17年に老朽化を理由に
取り壊された
現在は、天主閣復元に向けた分析に取り組んでいる
 
それでは、新天守台に登ってみましょう
 
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天主閣跡
 
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足元に注意して下さいね       天主閣地下部分
 
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天主閣からの眺め(中堀水門方向)  天主閣からの眺め(鞘橋)
 
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天主閣の眺め(月見櫓)       天主閣からの眺め(艮櫓)
 
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天主台と鞘橋
 
探訪日 2013・8
*なお、前回の探訪日は2010年でした