兵庫県姫路市 『書写山 圓教寺』

城めぐりではありませんが・・・
坂本城』の帰りに行って来ました
 
 
三木城の別所氏が叛旗を翻した時に加古川城に本陣を置いていた秀吉が
官兵衛の進言によりここ書写山に本陣を移します
書写山は、天然の要害であり多くの僧坊があり兵糧も豊富だったため
しかし、秀吉勢に驚いた圓教寺の宗徒たちは
比叡山の二の舞か」と逃げまどいました
官兵衛は、ここ圓教寺で秀吉や竹中半兵衛と一緒に播磨平定の軍議を
行った場所です
 
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                仁王門
 
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               摩尼殿
 
  京都:清水の舞台を思わせるような摩尼殿
  昭和に再建されたものですが迫力があります
  本尊は、如意輪観音で西国27番札所となっています
 
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               本田家廟所
 
土塀で囲まれた中には、姫路城主本多家の墓所があり
廟屋五棟と本多忠刻らの墓碑が並んでます
 
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                三の堂
 
室町中期の建物
向かって右手から『大講堂』『食堂』『常行堂』と
コの字に並んでます
この場所で、『太河ドラマ 軍師官兵衛』の撮影が行われました
 
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                大講堂
 
 書写山圓教寺の本堂に当たるお堂
 学問と修行の場となっています
 
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              食(じき)堂
 
 本来は、修行僧の寝食のための建物
 現在はここで写経ができます
 
イメージ 8イメージ 9秀吉が陣を置いた
とき、家臣が落書きをした柱が展示されています。
『羽柴小一郎秀長』と書いてあるそうですが・・・
『羽柴小』までしか確認できませんでした
 
 
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              常行堂
 
  本尊阿弥陀如来のまわりを休みなく常に行道して祈る道場
 
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榊原家廟所             松平家廟所
 
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             羽柴秀吉本陣跡
 
このあたりが陣中枢で、今はなき十地坊は秀吉と官兵衛が軍議を
練った場所で太閤陣屋とも呼ばれていました
現在は、貯水槽が設けられています
 
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        羽柴秀吉本陣跡から見た『置塩城』