今回の探訪城日記は
形式:梯郭式平城 築城:1602(慶長6:加藤清正)
遺構:天守(復元:連結式望楼型)・石垣
堀・櫓(現存)・土塀(現存)門
54万石の城下町で日本三名城のひとつと数えられている熊本城
加藤家改易後は細川家の居城となり明治の西南戦争を迎えました
天守閣などが焼失しましたが籠城に耐え難攻不落の造りが知れ渡りました
鬼門にある不開門 現存 東十八間櫓・北十八間櫓 現存
熊本城本丸御殿大広間(復元)
行政の場・歴代の肥後藩主の対面所(会見の場)として使用
宇土櫓 現存
西南戦争後でも焼け残った多層櫓
外観は三重だが内部は5階地下1階で第3の天守と呼ばれた
首掛石:横手五郎が凹型の石を首に 地図石:大小様々な切石が隙間
掛け楽々と運んだ怪力伝説が残る なく組み上げられた石組み
日本地図など諸説あり
数奇屋丸 二階御広間(復元)
かつて、本城域に建ち立ち並んで建物のひとつで書院造りの
数奇屋の二階の広間で茶会や能・連歌など来客時の接待に使われて
いました
二様の石垣
本丸南隅にある石垣で手前の方が築造年代が古く加藤時代
近江国穴太(あのう)出身の石工が各地の城郭で活躍したため
穴太積みともいわれる
奥にあるのが細川時代の石垣で勾配も急で上方のは反りがあります
これを、武者返しと言われています
田子櫓・七間櫓・十四間櫓・四間櫓・源之進櫓 現存
本丸東面を防備する櫓群で加藤清正の創建当初から存在
飯田丸五階櫓(復元)
加藤三傑の一人『飯田覚兵衛』は管理していた飯田丸南西隅に建つ
地上五階三重櫓