大分県大分市 『大分内府城』

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今回の探訪城日記は、特別篇!
 
昨年の11月に探訪旅行に行った大分の模様をお送りしたいと思います
大阪伊丹空港→大分空港へ
最初に探訪した場所は・・・
 
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  大分県大分市 『大分内府城』
 
  形式:平城 築城:慶長4年 遺構:天守台・櫓・曲輪・石垣・堀
 
文禄2年 豊後守護大名大友義統豊臣秀吉に改易
文禄3年 早川長敏入府(1万2千石)
慶長2年 石田三成の妹婿:福原直高入府(12万石) 新城の土台できる
慶長4年 早川長敏再入府
慶長6年 豊後高田城主竹中重利(竹中半兵衛の子)入府
     徳川家康の許可を得て築城工事完成
その後、日根野氏・松平氏と城主は替わり明治10代まで続いた
 
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           大分内府城:大手門
 
内府城の玄関口にあったため大手門と呼ばれているが
正確には、多門櫓門という名称
昭和20年の空襲により焼失
現在の建物は昭和40年に復元された
 
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             内府城:宗門櫓  
 
人質櫓よともに現存する江戸時代の建物
現在の建物は、安政6年に再建されたものであるが、当初の規模・工法を
引き継いでの修理だったと考えられている
 
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            内府城:天守
 
慶長7年に、四重櫓の天守閣が築かれていたが完保3年の大火で焼失
以降、再建されることなく現在に至っている
 
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           天守台に上ってみました 
       
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          天守台からみた、内府城:本丸
 
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              内府城:内堀跡
 
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             内府城:廊下橋
 
茶の湯や能・月見など諸芸能の営みがあった山里丸と西の丸を結ぶ
渡り廊下。平成7年に復元
 
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             内府城:慶長の石垣
 
廊下橋復元に伴う発掘調査により確認された築城当時の石垣
 
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               山里丸
 
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             内府城:人質櫓
 
寛保3年の大火により天守をはじめ多くの建物が焼失
その後も、大地震や空襲により損壊した建物が多いが再建されたものは
少ない
江戸時代の建物は、この人質櫓と宗門櫓のみとなる
現在の人質櫓は、文久元年に再建されたものである
 
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            内府城:お宮の祠
 
天守台の下にお宮を祀った祠があります
築城の際、度重なる水害に工事が進まず人柱を立てることになる
弁財天を抱いて孝行娘のお宮が一家を救うため人柱となった
その後、築城順調に進みお宮は鎮守としてあがめられたと伝えられている
 
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          浄安寺にある竹中重利の墓
 
 
~番外編~
 
ここ、大分内府城は名城100スタンプ設置場所です
しかし!
スタンプの設置場所が『文化会館』としか明記していないため
よくわからない方もいるかもしれないので解説いたします
 
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文化会館北側に階段があります。
その階段を登られて右手にスタンプがあります
なお現在、文化会館は閉館しております
*赤い矢印と○が目印です
 
 探訪日 2013・11