兵庫県佐用郡 『上月城』

今回の探訪城日記は
 
 
縄張:連郭式山城 築城:延元元(1336) 遺構:土塁・曲輪・空堀
 
上月城は、播磨・美作・備前という国が接するところにある
東は佐用川・北には大日山川が流れる要害の地
この川沿いには近世美作街道・古代美作道・東は鳥取と赤穂を結ぶ
道が通っている
弘治3年(1557)赤松政元(まさもと)が上月城に入城
その後、佐用・赤穂・揖東・揖西・宍粟の6郡を支配し『西播磨殿』と
呼ばれるようになり16万石に領主になる
しかし、戦国時代末期には織田信長毛利輝元の対立が深まり
赤松政範は、備前宇喜多直家を通じて毛利と同盟を結ぶ
天正5年(1577)信長は中国攻めを決め羽柴秀吉が播磨へ入り落城
その後、上月城尼子勝久山中鹿之助に守らせる
天正6年(1578)4月、毛利は上月城奪回のため城を囲み包囲網を敷く
報せを聞いた秀吉は上月城へ向かうが手の施しようがなく
ついに、尼子勝久は自刃し落城する
山中鹿之助は捕えられ備中松山城岡山県高梁市)へ護送中に
阿井の渡しで殺害された
 
 
上月城へ探訪したのは、昨年の秋
母親方の祖母のお見舞いの帰りに寄りました
 
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           麓にある上月城の説明板
 
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こちらの登山道から探訪開始!    すこし進むと・・・
 
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ここから登山道になりなりますよ   木製階段を登り
 
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まだ登り・・・           一見土橋にも見える細い道を歩き 
 
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               上月城堀切
 
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               上月城本丸
 
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                二の丸
 
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              馬落とし
 
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          上月城から見た『利神城』
 
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         上月城麓にある『山中追頌碑』
 
 探訪日  2013・9