鹿児島県霧島市 『国分城』


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今回の城探訪日記は

 鹿児島県霧島市『国分城』

 形式:平城 築城:慶長9年 遺構:石垣・堀・朱門(旧南門)

国分城は別名:国分新城・国分御屋形・舞鶴城という
慶長9年頃、島津義久はそれまで住んでいた『富隈城』から移り
住んだが、義久が没した後は義久の娘で18代当主島津家久(忠恒)の
正室だった亀寿姫が鹿児島城より別居させられて移り住む
亀寿姫が死んだ後は国分城は藩主直轄の地となり地頭屋形がおかれた
また、薩摩国大隅国の境に位置する絶好の立地から藩主自体が
鹿児島城から移転する計画がでる
島津斉彬は国分城下の測量まで行ったが斉彬の死去により実行されなかった
その後、霧島市国分小学校がおかれた

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朱門(再建)
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 探訪日 2017・3