兵庫県宝塚市 『小浜城』

今回の探訪日記は
 
      兵庫県宝塚市  『小浜城』
 
小浜城は『小浜寺内町』ともいう
明応年間(1492~1501)に建立した豪摂寺(ごうしょうじ)を中心とした寺内町である
江戸時代になってからも宿場町として繁栄した地で、軍事拠点として利用された記録はないが
立地や構造は極めて防御性の高いものになっているため
『小浜城』と呼ばれている
 
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豪摂寺
 
小浜城の中核となったのが豪摂寺である
豪摂寺の建立は不明であるが、一般的に明応年間(1492~1501)に
本願寺の僧:善秀(ぜんしゅう)が小浜庄に開き建立したとされている
この地が戦乱に巻き込まれたのは、天正6年(1587)の有岡城主:荒木村重の反乱
小浜については戦禍の記録はないが、織田信長に部将は小浜城に入城したとある
また、秀吉が正室北政所とともに有馬へ入湯する途中に、小浜豪摂寺に泊まったこともあり
この時『玉の井』の水で千利休が茶をたてたと伝えられる
文禄4年(1595)本堂が英次事件に連座して焼かれ
その後復興するが文政年間(1818~1829)に宗教上の争議で再び焼かれてしまう
現在の建物はそれ以降に再建されたものである
                                    ~ひょうごの城より抜粋~
 
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南門跡 
 
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北門跡
 
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城の北側にある大堀川に架かる『国府橋』
 
この国府橋は、明治8年にできたもので、それ以前は『いわし坂』と呼ばれる『切岸』の斜面を
降りてから大堀川を渡っていた
 
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『いわし坂』の説明板と『いわし坂』
 
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いわし坂からみた大堀川に架かる国府
 
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東門跡
 
 
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札場の辻(制礼場跡)
 
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小浜宿資料館
 
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小浜宿は、江戸時代に宿場町遺構として昭和60年に『兵庫県歴史的家並み』に指定される
しかし、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受ける