大坂の陣めぐり


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今回の城探訪日記は

  大阪府大阪市 『大坂の陣めぐりです

昨年末、丁度大河ドラマ真田丸』の最終回が放送された翌週に探訪
してきました。
そもそも、『大坂の陣』とは?
大坂冬の陣 慶長19年。徳川方と豊臣方の関係が悪化する中
      七月京都方広寺梵鐘の銘文が徳川家康の怒りをかい
      このことが大坂の陣の発端となる   
      ここで出て来るのが、豊臣方についた真田幸村が築城した
      『真田丸』です
      豊臣方は大坂城に籠城し12月に和睦
      
大坂夏の陣 慶長19年の和睦翌日から条件だった堀の埋め立てが始まる
      しかし、外堀だけだった条件を家康破りは内堀まで埋めて
      しまう。
      慶長20年、4月 樫井の戦い
           5月5日 道明寺・八尾若江の戦い
           5月7日 天王寺口の戦い
      と、再び決戦が始まる
      真田幸村木村重成本多忠朝などの武将が討死
      5月8日、大坂城は落城
      秀頼と淀殿は自害し豊臣家は滅亡する
   
平日にも関わらずたくさんの方が巡られていました
最初にやってきたのは

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大坂冬の陣で、徳川家康の本陣 大坂の夏の陣では真田幸村の本陣

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大坂城南惣構堀のすぐ近くにあります
真田幸村が築いた真田丸がこの辺りにあったとされています

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境内にあるこの抜け穴は大坂城までつながっていたとされている

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真田幸村・大助親子を弔うために大坂夏の陣数年後に建てられる
門前に『真田幸村出丸跡』の碑、門扉には旗印の六文銭がついている


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心眼寺前の道路は堀とのこと

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大坂夏の陣で、徳川方:本多忠朝隊と豊臣方:毛利永勝隊は激突

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大坂夏の陣で傷を負った真田幸村は境内で手当てをしていたところを
徳川方に槍で突かれて落命
境内に『真田幸村戦死跡碑』があります

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この松の木の下で落命したとか…

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現在の天王寺周辺

 探訪日 2016.12