今回の城探訪日記は
してきました。
そもそも、『大坂の陣』とは?
大坂冬の陣 慶長19年。徳川方と豊臣方の関係が悪化する中
このことが大坂の陣の発端となる
ここで出て来るのが、豊臣方についた真田幸村が築城した
『真田丸』です
豊臣方は大坂城に籠城し12月に和睦
大坂夏の陣 慶長19年の和睦翌日から条件だった堀の埋め立てが始まる
しかし、外堀だけだった条件を家康破りは内堀まで埋めて
しまう。
慶長20年、4月 樫井の戦い
5月5日 道明寺・八尾若江の戦い
5月7日 天王寺口の戦い
と、再び決戦が始まる
5月8日、大坂城は落城
秀頼と淀殿は自害し豊臣家は滅亡する
平日にも関わらずたくさんの方が巡られていました
最初にやってきたのは
大坂城南惣構堀のすぐ近くにあります
境内にあるこの抜け穴は大坂城までつながっていたとされている
心眼寺前の道路は堀とのこと
徳川方に槍で突かれて落命
境内に『真田幸村戦死跡碑』があります
この松の木の下で落命したとか…
探訪日 2016.12