大阪府千早赤阪村 『下赤坂城』

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今回の城探訪日記は

  大阪府千早赤阪村『下赤坂城』

       形式:山城 築城:元弘元年 遺構:なし

下赤坂城は、金剛山の支脈の一端に築かれた城
楠正成ゆかりの3城(千早城・上赤坂城・下赤坂城)のうち
この城跡には何も残っていません

元弘元年、後醍醐天皇が山城(現:京都)笠置山で討幕の兵を挙げた時
正成はいざというとき天皇を迎え入る目的で急遽築いたのが下赤坂城
幕府軍により笠置山は落城し天皇は赤坂城を目指すが捕縛
笠置山を落とした幕府軍は正成が籠る赤坂城を攻める
しかし、兵糧の備蓄も少なく後醍醐天皇の息子:護良天皇金剛山中へ
逃げる。
その後、正成が湊川の合戦で討死した後は楠正儀が入るが延文5年
北朝方に攻められ城を捨てる

現在の下赤坂城は、千早中学校裏手の丘陵の一角に石碑と案内板が
あります。石碑のあう場所からは『赤坂の棚田』があります
また、中学校の敷地を歩くので学校関係者様と遭遇したときは
挨拶をしましょう。
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下赤坂城の石碑
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案内板
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赤坂の棚田

 探訪日 2017・5