今回の城探訪日記は
形式:連郭式山城 築城:慶長13 遺構:(復)天守・石垣
曲輪・堀・井戸
岩国地方には、岩国氏と称する平家に属する一族がいました
しかし、寿永4年の壇ノ浦の合戦で地位を失う
代わりに勢力をふるったのが弘中氏です
その毛利氏も関ケ原合戦で減封
築いたのが岩国城
錦川は城の外堀で山頂にある城郭と山麓にある居館と構成されている
しかし、完成から7年で一国一城の令で破却
昭和37年に天守が再建された
錦帯橋から見えるように本来の場所から南に50mずらして建築
東矢倉跡
破却跡か?
竪堀
北の丸
天守台跡
大釣井
岩国3代藩主吉川広嘉が延宝元年に架けた
しかし、昭和25年に流失し再建された
探訪日 2017・9